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第1回外山史織コラム 『個性』
「個性」という言葉は、どうしてこうも私達を悩ませるのだろう。
とくにこの仕事をしていると、「あなたの個性は何ですか?」と、答えのない問いを投げかけられる場面は少なくない。
その度に少し戸惑ってしまう私がいた。
だが、生きていく中で、少しずつ変わっていった私なりの「個性」に対する考え方が見えてきたので、ここに記していこうと思う。
「個性がない」と思っていた自分
芸能界に入った頃、私はずっと、自分には個性がないと思っていた。
周りを見渡せば、自分の強みをはっきり言葉にできる人、会話の返しが面白い人、目が合うだけで印象に残る人や、一瞬で場の空気を変えてしまう人もいる。
そうした人たちの中で、私はどこにでもいる「普通の人間」にしか見えなかった。
芸能界で活躍していくうえで「何が自分の武器なのか分からない」「何を売りにすればいいのかも分からない」
そのたびに、「私はここにいていいのだろうか」と考えてしまい、気持ちだけが先に焦っていった。
今思えば、私は個性を「特別な技術や感覚」のことだと、かなり狭く捉えていたのだと思う。
無難な自分を選び続けていた理由
私が自分を「個性がない」と思っていた理由は、実はそれだけではなかった。一番大きかった原因は「嫌われたくない」という気持ちだったように思う。
変な人だと思われたくない。
間違ったことを言いたくない。
周りの人から感じの良い人だと思われたい。
そう思うあまり、空気を読み、無難な言葉を選ぶようになっていた。だからこそ、会話で何か感じても、すぐに口に出さず、一度頭の中で考えてしまう。
「これは変じゃないか」
「誰かを不快にしないか」
「言わなくてもいいんじゃないか」
そして、最終的に発せられた言葉は、まさに普通ともとれる当たり障りのないものばかりだ。
それでも心のどこかでは、常に「誰かと同じでいる自分」に物足りなさを感じていた。個性とは特別なものだと思い込んでいたからこそ、「何者かにならなければ」「誰かのようにならなければ」と、必要以上に自分を追い込んでいた。
自分を守る鎧を外せた瞬間に見える魅力
実は、自分の個性について模索していたある日、信号待ちをしながら何気なく周囲を眺めていて、ふと気づいたことがあった。
それは『特別に変わった人がいるわけではないのに、信号の待ち方が一人ひとり微妙に違っている』ということだった。
そもそも人は、最初からそれぞれ違う。喋り方も、歩き方も、考え方も、物事の受け取り方も、まったく同じ人はいない。
本当の意味で「普通の人」などいないのではないか。
それでも「自分には個性がない」と感じてしまうのは、個性に特別さを求めすぎていたり、嫌われたくない気持ちが先に立ってしまったりするからなのだと思う。
そうして、自分の中にある少し尖った感覚や、言葉にしにくい違和感を心の奥底に沈めてしまう。
振り返れば、自分を出さないようにしていた時の私は、いつもどこか窮屈だったように感じる。むしろ、それが当たり前だと思っていた。
私には、普段は静かで控えめなのに、好きなアニメの話になると急に饒舌になる友達がいる。
私は、その友達が話している姿を見るのが好きだ。アニメの話をしているときの彼女は、自然な振る舞いでとても生き生きしているのがわかる。きっと、その瞬間が彼女らしさなのだろう。
きっと人は、人が取り繕っていない瞬間に惹かれる。それは、いわば自分を守る鎧を少しだけ外した瞬間だ。
確かに、自分の鎧を外すのは怖いことだが、それと同時に人の魅力がいちばん見えやすい瞬間でもある。
個性は無意識下にあるもの
そうは言っても、私自身は今でも小さくまとまってしまうことはある。
やはり、嫌われたくないと思うと、無難な自分を選んでしまう。それが、そのときの自分があまり面白くないと分かっていながらでも、だ。
それでも、何も気にせず会話する私を「面白くて好きだ」と言ってくれる友達がいる。だからこそ、「ありのままの自分で良い」と気づくことができる。
もしかしたら個性は、意識して作るものではなく、無意識の中にあるのかもしれない。
探して見つけるものでも、無理に形にするものでもない。ただ、自然とそこにあるもの。
今日も私は、「力を抜こう」と思いながら、つい力が入ってしまう。相変わらず不器用だと思う。
でも、そのように試行錯誤しているところも含めて「自分の個性」なのは確かだ。答えはいつも自分自身の中にある。


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