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第2回 外山史織コラム『心の骨折』
夢を追いかける過程で、心がバキッと折れた経験がある人は、どれくらいいるのだろうか。
私はそれを『心の骨折』と呼んでいるが、自分自身、三度以上は経験している。
私は、その度に「この活動は向いていないんじゃないか?」と後ろ向きになってしまう。
しかし、それと同時に心の折れた経験がある人は「それだけその物事に本気で向き合ってきた証ではないだろうか」とも思う。
今回のコラムでは、心が折れていた時の自身の気持ちを記していきたい。
折れた時ほど、他人がまぶしく見える
「あ、もう無理だ」
その言葉は急にやってくる。糸がプツンと切れたような、操り人形の糸が切れた時のような感覚だ。
こういう時、不思議と目に入るのは、うまくいっているように見える人の姿ではないだろうか。
楽しそうな姿や活き活きとしている姿。「あの人はいいよな」「あの人みたいになれたら」と、その人の努力には目もくれず、成功している部分ばかりが目に飛び込んでくる。
さらに、そう考えている時ほど「自分のそばにある一番大切なもの」や「支えてくれている身の回りの環境」に目が向かなくなる。
崩れていく自分を守ることに精一杯で、見えていたはずの景色が見えなくなってしまう。他人へ抱く羨ましさは、頑張れない自分を正当化するための、都合のいい言い訳にもなりかねない。
そして、こうなった時は何をやってもうまくいかない。「でも」「だって」と、足りない理由ばかりが頭に浮かぶ。
視界は狭くなり、無意識のうちに自分で自分の足を引っ張っていることにも気づけなくなる。地面へと引きずり込んでいるのは、他でもない自分自身なのに。
闇の中で届いた言葉
「そんな日々から私を引き上げてくれたのは、共に戦う仲間の言葉だった。演技レッスンが終わった後、ポン!とLINEが届いた。「しんどい話はこれぐらいにして、これ読んでみたら?」――それはノート2枚分の言葉だった。
私は人の相談を聞くのは得意な方だが、自分が誰かに頼るのはとても苦手だ。落ち込んでいる姿を見せたくない気持ちもあるし、迷惑をかけてしまう気がするからだ。
だからこそ、客観的に今の自分の状態を指摘してくれる存在は、本当にありがたい。あの時も、自分では見えていなかった自分を教えてもらった。
そして気づいたことがある。それは、その言葉をくれた本人も、その考え方を努力して手に入れているということだ。
「頑張れない時が一番辛いんです」
これは、好きなミュージシャンがライブで言っていた私の心に深く響いた言葉である。
成功しているように見える人も、同じように折れそうな夜を過ごしている。
目に見えないだけで、想像以上の努力を重ねている。
そう思った時にはもう、やるべきことに目が向いていた。
心が折れた後に何をするか?
「心が折れることは、弱さではない」
それは「本気で生きてきた証だ」と思っている。
大切なのは、折れた後にどう向き合うかだと思う。これからも、いろんな場面で心はバキバキに折れるだろう。それでも、その道を選んだのは自分自身である。
しかし、振り返って見れば、どんなに心が折れかけても実際ダメだったことは一度もない。ただ、『自分がそう思い込んでいるだけ』であった。
だからこそ「その時の自分を客観的にみる」ことは大切なのではないか。
そしてこう唱えてみると良い。
「今の自分は、周りからどんな人に見えているのか?」
「その自分は、この先成功しそうか?」
このように当時の自分を見つめた時、私は自分が魅力的じゃ無さすぎて絶望した。
こんな人の演技を誰がみたいと思うのだろうとも思った。
『自信無さそうに俯いている人よりも、理由はなくともただ自信に満ち溢れている人に目がいくのではないだろうか?』
『大失敗したとして、全力でぶつかった人にヤジを飛ばす人がいるのだろうか?』
今の私だったら「ナイスTRY!」と言いたい。
私は、そう思うようになってから、クヨクヨするよりも、根拠のない自信を持ちながらオーディションに行くようにしている。
「外山史織を選びたい!」と思ってもらえるその時が来るまで、これからも私は楽しんで自分と向き合っていきたいと思う。


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