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【レビュー】映画『3670』─人は『何人もの自分』を生きるということ

人は誰しも、いくつかのコミュニティに属しながら生きている。だが、そのどこにも本当の自分をさらけ出せないとしたら、人はどう生きればよいのか。韓国映画『3670』は、脱北者でありゲイでもある青年の姿を通して、居場所と自分自身のあり方を静かに問いかける作品である。

脱北者、そしてゲイという主人公が生きるコミュニティ

映画『3670』場面写真

本作の主人公は、北朝鮮から韓国へ渡ってきた青年チョルジュン(チョ・ユヒョン)。

脱北者同士の強い絆に支えられながらも、ゲイであることを周囲に打ち明けられずにいる。韓国社会にも脱北者のコミュニティにも、心から安らげる居場所を見つけられない彼は、やがてソウルのゲイコミュニティでヨンジュン(キム・ヒョンモク)と出会う。

初めて仲間とのつながりを得たチョルジュンだったが、新たな世界に足を踏み入れた先にも、葛藤が待ち受けていた。

その背景には、脱北者を取り巻く厳しい現実がある。

韓国統一部によると、韓国へ渡った脱北者は2025年末時点で累計3万4538人にのぼる。2023年の実態調査では、脱北者の失業率は韓国全体のおよそ2倍、年収は平均の半分ほどにとどまっており、韓国社会への定着が今なお容易ではないことがうかがえる。

映画『3670』場面写真

監督・脚本・編集を手がけたパク・ジュンホは、かつて脱北者の若者が通う学校で教壇に立っていた。生徒たちからさまざまな話を聞くなかで、「もし脱北者の生徒にゲイの子がいたら、韓国でどう生きるのか?」という問いが生まれたという。

タイトルの「3670」は、「鍾路3街駅の6番出口に夜7時0分」を意味する待ち合わせの合言葉で、韓国のゲイコミュニティで使われてきたものだ。

本作が描くのは、脱北者であり、ゲイでもあるという二重のマイノリティとして生きるチョルジュンの姿だ。

さらに彼は、周囲から求められる「普通の人」であろうとする無言の圧力にもさらされている。

複数の立場の間で揺れ動きながら、自分らしく生きられる場所を模索する青年の姿を通して、社会における居場所とは何かを問いかける。

人はコミュニティがなければ生きていけない

映画『3670』場面写真

本作を観て改めて感じるのは、人はコミュニティなしには生きていけないということだ。

そして、そのなかで自分がどう生きるべきかを、常に模索している。チョルジュンが脱北者の仲間を必要としながら、同時にゲイの仲間を求めたのも、安心して自分らしくいられる居場所を必要としていたからにほかならない。

性的マイノリティへの理解は、現代社会において少しずつ広がりつつある。自らのセクシュアリティを公表する人が増え、それを受け入れようとする社会も形づくられてきた。

しかし、本当に誰もがありのままでいられる社会に近づいているのかといえば、まだ十分とは言い難い。親でさえ、男性は女性を、女性は男性を好きになるのが当たり前だと、無意識のうちに思い込んでいることがある。

映画『3670』場面写真

そうした「当たり前」に苦しんでいる人は、今も決して少なくないはずだ。

本作では、何気ない一言や日常の会話をきっかけに、チョルジュンが劣等感を抱く場面が幾度となく描かれる。そこに必ずしも悪意があるわけではない。むしろ、何気なく発せられた言葉だからこそ、相手を深く傷つけてしまうこともある。

ありのままの自分を受け入れてもらえる場所が限られているからこそ、そこに居場所を求める人々の関係もまた、複雑なものになっていく。

映画『3670』場面写真

必要なのは、性的マイノリティが社会に「受け入れられている」という事実だけで満足することではない。特別な理解や配慮を必要とする存在として捉えるのではなく、多様な性の在り方が、ごく自然なものとして社会に根づいていくこと。

その「当たり前」が変わっていかなければ、誰もが自分らしく生きられる社会には届かないのだろう。

人は『何人もの自分』を持っている

映画『3670』場面写真

人は、ありのままの自分で生きることが難しい生き物なのかもしれない。

私たちは知らず知らずのうちに、誰かにとって都合のいい自分を演じ、その場の空気やコミュニティに合わせて、異なる顔を使い分けてしまう。チョルジュンもまた、脱北者の仲間の前とゲイコミュニティのなかとで、それぞれ異なる自分を見せざるを得ない。

そんな彼の姿を見ていると、何も偽ることなく「普通」でいられることが、いかに恵まれたことなのかを考えさせられる。

映画『3670』場面写真

そもそも、何が普通なのかに明確な答えはない。それでも、自分を偽ることなく、ありのままの姿でコミュニティに身を置ける安心感は、何ものにも代えがたいものだろう。

「あなたは、いったい何人の自分を持っているだろうか」

相手や環境によって自分を変えなければならないと感じている人は、決して少なくないはずだ。本来、自分という存在はひとつである。それなのに、その自分のままで他者と向き合うことは、想像以上に難しい。

映画『3670』場面写真

私たちは、さまざまなコミュニティのなかで仮面をかぶりながら生きている。しかし、だからこそ目指すべきなのは、誰もがひとつの自分のままでいられる社会ではないだろうか。

自分を偽らなくても、誰かに合わせて別の人間を演じなくても、安心して他者とつながることができる。そんな環境や人間関係を、私たちは少しずつでも築いていく必要がある。

どんな状況だろうとみんな同じ人間

映画『3670』場面写真

本作が最終的に気づかせてくれるのは、私たちはみな同じ人間であるという、ごく当たり前の事実だ。

脱北者であることも、ゲイであることも、その人のすべてを決めるものではない。それにもかかわらず、人と人との間に線を引き、違いを理由に区別しているのは、ほかならぬ私たち自身である。

性格も育ちも、一人ひとり異なっている。誰もが唯一無二の存在でありながら、同じ人間であることに変わりはない。

映画『3670』場面写真

今の社会には、マイノリティである人々に、自らの存在を疑わせ、劣等感を抱かせてしまう構造が残っている。しかし、ゲイだから、脱北者だからという理由で、誰かとの間に境界線を引く必要は本来ないはずだ。違いを抱えたままでも、同じ人間として他者とつながり、ともに生き、成長していくことはできる。

映画『3670』は、チョルジュンという青年の孤独と葛藤を通して、私たちが見失いがちなその事実を静かに思い出させてくれる。

自分は何人の自分を演じているのか。そして、ありのままの自分でいられる居場所を、私たちはどうすればつくっていけるのか。本作が投げかける問いは、誰もが自分自身の問題として向き合うべき問いだった。

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