監督集団『5月』として、平瀬謙太朗監督とともに映画・ドラマ作品『災』の脚本・監督を手がけた関友太郎監督。
「カンヌに出しましょう」という一言から始まった短編映画『八芳園』(2014)をはじめ、『5月』はこれまでさまざまな作品を生み出してきた。そして『災』では、映像や音楽、俳優の演技を丁寧に積み重ねながら、「災い」というテーマを見事に形にしている。
本稿では、『災』の演出や香川照之さんとの役作り、監督集団「5月」での映像制作から、俳優が自らの表現を届けるために大切なことまで。関監督の言葉を通して、作品に込めた思いや、ものづくりに向き合う姿勢を紐解いていく。
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映像制作と音楽、演技をこだわる先にあった完成形

――完成した『災』をご覧になって、率直にどのような感想を持ちましたか? 制作中にイメージしていた事とのギャップはあったのでしょうか。
どれだけイメージしている画があっても、現場では時間やスケジュールの制約があります。撮影する量も多かったので、撮影前は、映画のように一カットずつ作り込んでいくのは難しいのではないかと考えていました。
ところが、以前から何作かご一緒している撮影部の國井重人さんと照明部の鳥羽宏文さんに撮っていただいた映像を見て、そのクオリティの高さに驚きました。本当に素晴らしい映像が続々と上がってきたんです。
また『災』では、『音楽が表現の半分を占める』と、制作段階から音楽を重要視していました。実際に完成した作品を見てみると、想像していた以上に音楽が『災』の世界観を作ってくれたと感じています。
音楽を担当した豊田真之さんも、映像に音楽を添えるというだけではなく、映像と音楽を合わせてひとつの表現にすることを考え、素晴らしいものを作ってくれました。
それが最終的に映像と重なった時、僕たちが思っていた以上の世界観が生まれたのだと感じました。
――本作ではひとつのカットが長く、俳優の演技を生々しく感じられるのも印象的でした。その点に関しては、制作段階で意識されていたのでしょうか。
そこは特に意識していませんでした。脚本も自分たちで書いているので、その段階で演出の半分以上は、ある意味俳優の方々に伝わっているような感覚があります。あとは、それを受けて俳優陣がどのように演じてくださるのか。そこは撮影期間の楽しみのひとつです。
こちらから具体的なイメージをお伝えしたり、細かく指示を出したりすることも、現場ではそれほど多くはなかったと思います。中村アンさんと宮近海斗さんのお二人については、僕らの中に明確なイメージがあったため、一度本読みを行わせていただきました。
簡単にいうと、普段より低い温度感でセリフを発して欲しかったんですね。とはいえ、お二人はご自身で役のトーンをほとんどつかんでいたので、擦り合わせはごくわずかで済んだ記憶があります。
僕らは、現場では「もう少しゆっくり演じていただいても大丈夫です」と伝えることが多いですね。俳優の方々からすると、普段は逆に「もっとテンポよく」と求められることが多いそうで、そうしたやりとりをすると、「もっとたっぷりやってもいいんだ」と少し驚かれることもあります。

香川照之の役作りと、演技術に裏打ちされたライブ感
――本作で主役を演じた香川照之さんについてお聞かせください。香川さんの役作りの過程では、何かお話をされることはあったのでしょうか。
撮影はある程度順撮りで進めました。髪型などの事情もあるため、バラバラに撮影することはできず、香川さんのシーンは基本的にはエピソードごとに分けて撮影していきました。
たとえば1話では塾講師役を演じますが、その撮影が終盤に差しかかると、香川さんから「ところで、2話のキャラクターなのだけれど…」と相談をしてくださっていたんです。「こういうキャラとこういうキャラならどちらがいいと思う?」と。
撮影終わりなどに、その場でセリフを交えながら実際に演じてくださるので、それを見ながら「こちらのトーンのほうが面白そうですね」と話す。そうしたやりとりが、次第に撮影中の楽しみのひとつになっていきました。

――役作りのプロセスはある程度お任せして、香川さんからいくつか案を出していただくという形なのでしょうか。
そうですね。香川さんの中には、そのキャラクターを引き出すためのさまざまなイメージがあるようなんです。それを教えていただくと「なるほど」と思うことが多かったですね。
前作の映画『宮松と山下』(2022)の時にも感じたのですが、香川さんは、圧倒的な技術力を根底に持ち、その上に感情表現が生まれている。それが本当に素晴らしいと思いました。
つまり、再現性があるんですよね。もちろん、その場で生まれるものもたくさんあると思います。ただそれを支えているのが、圧倒的な経験と技術、そして知性なんです。
そうした強固な土台があるからこそ、強い表現が生まれる。こちらとしても非常に頼りになりますし、絶大な信頼を置いています。
しかも香川さんはその技術だけで芝居を終えることはなく、「やってみなければわからない」というライブ感や楽しみを持って撮影に臨んでいる。一見矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、そこが香川さんの素晴らしいところだと思います。

『災』の構造から生まれた『日常の尊さ』
――本作では、人には抗えない自然現象「災い」が起こるという設定に哲学的なものを感じました。このアイデアは、最初からあったのでしょうか。
「災い」というテーマは、最初から明確にあったわけではありません。
出発点にあったのは、ひとつの構造でした。舞台がそれぞれ異なるオムニバスでありながら、一人だけ、同じ男がすべての物語に現れる。この構造では、登場人物と観客との間に情報量の差が生まれます。
それは『観客だけが、物語の中の人々よりも男の正体を知る優位な立場に立つ』という形です。
その男が現れた瞬間、観客だけが『危ない』と気づく。ですが、画面の中の人々はそれを知らない。そこに面白さがあるのではないかと。僕たちが描きたかったのは、まさにその構造でした。
ただ、制作過程で「結局、この男は何者なのか?」という問いに向き合うことになったんです。殺人者として描くこともできましたが、それだけでは物足りない。
現実的な殺人者という枠に収まらない存在を模索する中で浮かび上がってきたのが、「災い」というテーマでした。
タイトルを『災』とするなら、香川さんが演じる男そのものを「災い」として描いたほうが面白いのではないか。その発想を軸に、作品全体がテーマに向かってブラッシュアップされていきました。

――そこには、関監督ご自身の経験も影響しているのでしょうか。
いまこうして振り返ると、そうだったのかもしれません。実は僕自身、幼い頃から身近な人の不幸を経験しています。
そうした出来事は、もはや自分の中で処理しきれるものではありません。「なぜ自分が?」「なぜ大切なあの人が?」という思いは現在も持ち続けています。
大切な人を失って感じたのは「なぜこんなことが起こるのか?」といういくら考えても答えのない問いです。
それでも、自分は生きていかなければなりません。その現実をどう受け入れ、どう向き合っていくかを考えた時、『理由があるほうがかえって辛いのではないか』と考えるようになったんです。
――筆者は『災』に、目の前の日常を見つめ直させるメッセージも感じました。それは結果的に込められたものなのでしょうか。
僕には日常を生きていること自体が、とても幸せな状態なのだという強い実感があります。それは、先ほどお話ししたような経験もしてきたからです。
家族と毎日、朝夕の食卓を囲む時間。それは、ある意味で奇跡のような状況だと言えます。
「災い」は、いつ起こるかわかりません。交通事故や天災など、現実にもさまざまな形で起こり得ます。今日ここへ来る途中で、事故に遭う可能性も決してゼロではありませんでした。
そうしたすべてを知らず知らずのうちにくぐり抜けて、今日も家族と食卓を囲めているのです。
作中ではひどい出来事が起こります。ですが、妙な言い方をすれば「これがフィクションでよかった」と感じてもらえたらとも思っています。怖い夢を見て起きた後の感覚ですかね。
いまある日常を大切に思えたり愛おしく思えたりするきっかけになってくれたら嬉しいです。

「作り続けなければ、何も生まれない」関監督の在り方
――ここからはご自身のキャリアについて伺わせてください。監督集団『5月』は大学院のゼミから生まれたとのことですが、卒業後のご自身のキャリアをどうしていくかを考える中で結成されたのでしょうか。
きっかけは大学院時代です。当時の教授だった佐藤雅彦さんが、「個人の修了制作も目処が立ってきたから、もう1本みんなで作りませんか」と声をかけてくださいました。さらに、「どうせやるならカンヌに出しましょう」と。
そこで、個人制作とは別に研究室として短編を1本作ることになりました。それが短編映画『八芳園』(2014)です。そしてこの作品が見事にカンヌに選ばれたんです。
大きな喜びを胸に現地へ向かいました。ところが、現地でコンペティション部門に選ばれた作品との差を痛感しました。それが意外にも本当に悔しかった。だからこそ、もう一度作りたいという思いを抱えて帰国したのを覚えています。
――俳優の世界でも、努力を重ねながらチャンスに恵まれない人は少なくありません。そうした厳しい世界で、関監督ご自身はキャリアについてどのように考えていますか。
僕は、将来のキャリアよりも目の前の作品を作ることを大切にしています。作ることそのものを一番の目的にしていると思います。
まずは、作るに値するアイデアを出す。そしてアイデアが生まれたら、寝かせたままにせずとにかく形にする。
短編映画『八芳園』(2014)の時もそうでした。一度撮影を終えたものの、佐藤さんと相談するなかで「これではまだ出来上がっていない気がする」という話になりました。
当時はすでに仕事も始まっていたので、働きながら編集や打ち合わせを重ねていくのは、なかなか苦労したなと。
『八芳園』は誰かに制作を依頼された訳でもないですし、作らなければならない理由があった訳でもない。けれど、そんな作品がカンヌという舞台で評価していただけた。
この経験から、やはり作ることが何より大事なのだと実感しました。現に『災』も、自分たちで勝手に『新しい怖さ』の世界を作りたいと言い出して生まれた企画です笑
もちろんこの先、思い描いた形に出来ない作品もたくさんあると思います。それでも、作り続けなければ何も生まれないと考えています。

何かを残せる姿を見せることが大切
――関監督は、ご自身のやりたいことの追求を大切にされているのでしょうか。
そうかもしれません。
僕は映画館が大好きなのですが、何に惹かれているのかと考えると、世界観に浸れることなのだと思います。いつもの日常とは違う、その作品だけが持つ世界に浸りに行っているんです。
僕にとって、映画の原体験のひとつは『千と千尋の神隠し』でした。中学2年生の時に劇場公開されて。
同じ映画を2回観に行ったのも、一人で映画館で映画を見たのも、この作品が初めてでした。『千と千尋』の世界観に浸かりながら、中学生なりに悩んでいたことをその時だけは忘れて、とても癒されたのを覚えています。
だからこそ、自分が多大な時間と労力、お金をかけて作るのであれば、何か新しい世界を一つ生み出すくらいのつもりで、映画を作りたい。その新しい映画の世界に自分も浸かりたいんです。
それが、いまの僕の一番のモチベーションかもしれません。
ただ、生半可な気持ちでは人がわざわざ足を運んでまで浸りたいと思える世界観は作れない。本当にそう思っています。

――俳優が、この芸能界で少しずつキャリアを積み重ねていくうえで大切なことはなんだと思いますか。
僕たちの立場から言っても、まず知ってもらうことは必要だと思います。
たとえワンシーンのみの出演でも、段取りの時点でその演技が驚くほどよかった俳優さんがいらっしゃって。現場にいたプロデューサーもちょっと驚いた様子で「すごく良い」と口をそろえ、現場全体が少しざわついたこともありました。
当たり前すぎることかもしれませんが、そういった印象的な芝居は、きっと現場だけでなく、鑑賞者にも伝わるはずです。そして少なくとも自分は、また絶対に別の作品でも一緒に作品を作りたいと思うようになる。
俳優にもいろいろなタイプの方がいて、どの道が正解ということはないと思います。自分が何を作りたいのか、何を表現したいのか。そこに向かってまず動くことは、俳優であっても監督であっても同じなのではないでしょうか。
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