エンタメで人の可能性を切り拓くwebマガジン

TAG LIST

本サイトは広告を含みます

俳優コラム

第3回外山史織コラム「素直に行動できる人と頭でわかっても動けない人の違い」

「やりたいことに素直に動ける人」と「頭ではわかっているのに動けない人」——この差はどこから生まれるのだろう、と最近よく考える。

学生の頃はもっとシンプルだったと思う。「やりたい」と感じたら、その気持ちに正直に動けていたし、自分のやりたいことを口にするのも自然だった。

しかし大人になるにつれて、「やりたい」という気持ちよりも「やらない理由」を探すのがうまくなってしまった気がする。

傷つかないために、挑戦そのものを手放してしまう——そんな心理は、多くの人に共通するものらしい。そのことを頭では知っていながら、自分もその罠にはまっていた。そんな時、ある俳優の言葉にハッとした。

今回は、そんな言葉に心を大きく揺らされた私の感情と考えを共有したい。

なぜか惹かれてしまう『素直さを持つ人間』

外山史織(本人提供)

「失敗? そんなことより、やらなかったら後悔するし、人にどう思われるか気にしてたら人生つまらなくない?」

言葉が刺さった。自分はいつの間にか、「どう生きたいか」よりも「どう思われながら生きるか」に意識が向いていたのだと気づいたのだ。

これは、普段は参加しない演技レッスンのクラスで、20歳前後の女性のワークを見ていた時のことだ。

ワークが終わった後、彼女は自分の演技に対して「悔しい」とまっすぐ言った。それだけでなく、自分がどう感じたか、何が納得いかなかったのかを、丁寧に言葉にしていた。

私は、自然とその姿から目が離せなかった。「なぜこんなに惹かれるのだろう?」と考えた時に浮かんだのが、「素直さ」という言葉。

素直に悔しいと言えること。自分の意見をちゃんと出せること。弱さを隠さないこと。それはとても、かっこいいことだと思う。

俳優として生きることを選んだ頃から、弱さを出せる人に強さを感じていた。自分を曝け出すことは、思っている以上に勇気がいるからだ。きれいに見せようとする人が多い中で、そのような人には強い人間味がある。

自分自身は、負の感情を言葉にするのがとても苦手だ。悔しい、怖い、しんどい、納得いかない——そういった感情をうまく外に出せないどころか、人をあまり近づけないようバリアを張ってしまう。

強がることで、自分の弱さから目を背けているのだと思う。だからこそ、素直な人を見ると、こんなにも惹かれるのだろう。

自分を諦めていたことへの気づき

外山史織(本人提供)

もうひとつ、最近気づいたことがある。それは「自分のために動くこと」と「誰かのために動くこと」では、行動の質が全然違うということだ。

明らかに「誰かのために動く」方がやる気が出る。そんな疑問に直面した時、ある人からの言葉にハッとした。

「最近、諦めてない?」

その言葉でわかった。いつの間にか、自分自身に絶望していたのだ。頑張っても意味がない、どうせうまくいかない——そう心のどこかで思い込んでいた。

期待が崩れるたびのダメージを避けるために、傷つかないよう装いながら、本当の意味で努力することを手放していた。

その気づきとともに、私は涙が溢れた。

この涙は、自分自身が『いちばん自分を信じてあげられていなかったことへの不甲斐なさ』からである。自分を許せていないのは、誰でもない、自分だった。

なぜ、自分のやりたいことに全力で向き合わなかったのか。なぜ、つらいと声に出せなかったのか。なぜ、自分に正直に生きられなかったのか——それは自分自身への、積み重なった負債のように感じた。

自分を愛することから始める旅

外山史織 写真:佐藤容平

自分を許せていないのは、誰でもない、自分だった。そりゃ、自分を見失うわけだ。自分自身が自分を愛せていないのだから、自分の良さなんて見つかるはずがなかった。

そもそも活動を始めたきっかけは、自分と同じような経験を持つ人を救いたい、笑顔にしたいという思いだった。でも本当のところは、自分自身を救いたかったのかもしれない。

なぜ、自分のやりたいことに全力で走り出さなかったのか。
なぜ、平気なフリをしていたのか。
なぜ、つらいと叫ばなかったのか。

すぐには変われない。でも、自分を心から許して、自分を愛し、自信を持てた時、きっと何かが大きく変わるのだと思っている。そしてこれは、そこに辿り着くための旅なのだろう。

今日もまだ、少し臆病で、隣をちらちら見てしまう不器用な人間だ。でも、そんな自分を少しずつ愛せるように——できることから一つずつ、歩みを進めていきたい。

コメント

この記事へのコメントはありません。

RELATED

PAGE TOP