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【レビュー】厨子翔平監督作品、映画『もどらないかげ』--戻らない時間、人生に身を委ねて
導入過ぎ去った時間は二度と戻らない。だが、その不可逆性を喪失として嘆くのではなく、流れそのものに身を委ねることの豊かさを静かに提示する作品がある。厨子翔平監督の初長編『もどらないかげ』である。
佐賀県有田町を舞台に、土地に流れる記憶と時間を見つめた本作は、ドキュメンタリーとフィクションのあわいを漂いながら、観る者を独特の時間感覚へと引き込んでいく。
2026年8月29日より、ユーロスペースを皮切りに全国順次公開された本作は、既存のジャンル区分をやわらかく無効化する、稀有な達成として立ち現れている。
観終えたあとに残るのは物語の顛末ではなく、ある土地に流れていた時間の手触りそのものだ。
映画『もどらないかげ』--佐賀県に住み込みで制作した厨子翔平監督の初長編

本作は、監督の厨子翔平氏が東京から佐賀県有田町へ移り住み、窯元で働きながら制作された。
多様な職業に従事しながら自主映画を撮り続けてきた厨子監督にとって、『家出』『奥津』『焚火』『掌』『なにかがつれていく』『幽霊団』といった短編群を経て、本作は初の長編作品となる。
物語の起点は、2012年に友人を訪ねて初めて有田を訪れたことにさかのぼる。
亡霊と伝説、住民たちの視点から町を描くプロットは、六年後、友人が東京の仲間へ宛てて綴った一通の手紙のようなテキストと結びつき、そこに実在する人々や場所への強い関心へと発展していった。コロナ禍による中断を経て2023年に移住、二年の準備を重ねて2025年に撮影が行われている。本作は、有田での暮らしと人々との関わりのなかから生まれた、その手紙への返信のような映画である。

物語の中心にいるのは、窯元で働きながら自らの焼き物のための土を探し続けるオオクボ、町の人々の過去の生活や記憶を録音するフミ、自転車で町を駆けめぐり写真を撮るセイタロウといった人物たちだ。
そこへ、世界を放浪していたオオクボの妹ミウが帰郷する。陶芸家、写真家、記録者、土地に戻ってきた者――それぞれが抱える記憶と生活へのまなざしを通して、言葉にならない感情の気配が掬い上げられていく。肥前窯業の地・有田の風景と、そこに生きる人々の姿が、丁寧に映し出されている。
ただのドキュメンタリーとは一線を画す唯一無二の映画テイスト

本作の最大の特質は、ドキュメンタリーでありながら、その手触りが紛れもなく「映画」そのものであるという点に尽きる。
カテゴリー上は記録映画に分類されうるが、その撮り方も作り方も、既存のドキュメンタリーの枠組みには収まらない。
むしろ一本の劇映画として自立しているようにも見えるが、画面に映る人々が演じているのか、それとも素のままそこに在るのか――その判別を観る者に許さない絶妙な曖昧さこそが、本作の魅力だ。

出演者たちは演技経験者ではなく、監督が暮らしのなかで出会った人々である。
演じる/演じないの境界を漂う彼らの姿は、作為を排したがゆえに、かえって強いリアリズムを帯びる。
飾ることなくその場に在る人間の存在感と、監督が作り出す絵が交わるとき、フィクションとも記録ともつかない新しい映画の形が立ち上がっている。
仮にこれがドキュメンタリーであるならば、いかにしてこの自然な佇まいを引き出したのか――その問いそのものが、鑑賞体験の魅力の一部を構成しているようだ。
リサーチする者はリサーチし、自転車に乗る者は自転車に乗り、土を掘る者は土を掘る。そこに過剰な意味づけや成果への希求はなく、目的から解き放たれた潔さだけがある。
生者と死者、演技と現実といった矛盾の輪郭が薄くなっていくようで、残るのは人生のリズムとその軌跡のみだった。
場所、人生、時間--すべての流れを肌で感じる

本作が観る者を捉えて離さないのは、有田という土地に流れる時間そのものへと引き込む力ではないだろうか。
この町にしかない緩やかな時間、澄んだ空気、ゆっくりと過ぎゆく日々の気配。そうした世界観に深く浸るとき、観る者は自らの日常とは異なるリズムのなかへと運ばれていく。効率や成果に追われる時間から離れ、土地に根ざした流れに身を浸す体験がそこにはあった。

人は、与えられた場所で、いま在る故郷で、自然に生きていけばよいのではないか――本作はそうした感慨を静かに喚起する。人それぞれのあり方があり、人生のリズムのなかで生きていくだけでも十分ではないか、と。
自然の流れ、時間の流れ、そして映画そのものの流れに、ただ身を委ねて生きること。その肯定こそが、本作の核心にあるようだ。
普段の生き方とは異なるゆったりとしたリズムに触れるうち、いつしか「もっと緩やかでよい」「もっと楽でよい」という感覚へと導かれていく。
『もどらないかげ』は、戻らない時間を嘆くのではなく、その流れに乗って生きることの豊かさを、映画という形式そのものを通して感じさせてくれる。
その静けさのなかに刻まれた確かなリズムの軌跡こそが、本作の残す最も深い余韻である。



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