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【レビュー】モノクロームの荒野に、映画の原初が宿る映画『クロノス・カイロス』の魅力
今回は、フィンランド発のモノクロームSF『クロノス・カイロス』を紹介したい。ロックミュージシャンにして作家、デザイナーでもあるヘッラ・ウルッポが、8年もの歳月をかけて完成させた長編監督デビュー作であり、巨匠アキ・カウリスマキが“超現実主義のマスターピース”と絶賛した一本だ。
2026年9月11日より日本公開される本作の魅力を、制作の背景とともに読み解いていきたい。

一本の映画が、また別の映画を呼び寄せた

フィンランドの小さな町カルッキラに、「キノ・ライカ」という映画館がある。映画監督アキ・カウリスマキと作家ミカ・ラッティが共同で営む、映画愛好家たちの集う場所だ。映画館にコンサートホールとバーを併設し、「世界一犬にやさしい映画館」としても知られるこの文化拠点から、一本の映画が生まれた。そのミカ・ラッティが、今度は自ら作り手として世に送り出した作品——それが『クロノス・カイロス』である。
製作と共同脚本を務めたのがラッティ、そして監督を託されたのは、フィンランドを代表するロックミュージシャンにしてグラフィックデザイナー、作家でもあるマルチアーティスト、ヘッラ・ウルッポ。数十本のミュージックビデオで培った独自の映像感覚を携え、本作で長編デビューを果たした。

制作には、実に8年という歳月が費やされている。その出発点にあったのは、監督自身の離婚だった。別れのあとに訪れた深い抑うつと、鳴りやむことのない耳鳴り——その痛みを処理するための「道具」として、この映画は生まれた。
タイトルはギリシャ語の二つの時間概念に由来する。流れゆく日常の時間「クロノス」と、人生を切り裂くように訪れる決定的瞬間「カイロス」。別れとは、クロノスのなかに突然カイロスが割り込んでくる体験だった、と監督は語る。
撮影の舞台は、監督が家族とともに暮らすスペイン・アンダルシアの山岳地帯。ダリやブニュエルが切り拓いたシュルレアリスムの伝統、そして荒野をさまようドン・キホーテの姿が、モノクロームの風景に自然と重なっていった。
アキ・カウリスマキが“超現実主義のマスターピース”と評したこの作品は、第40回ミッドナイト・サン映画祭にメインフィルムとして正式出品されている。
日本公開への道のりもまた、映画的な巡り合わせだった。映画監督・森ガキ侑大が自作でエストニアの映画祭に招かれた際、憧れていたキノ・ライカを訪ね、ミカ・ラッティと出会う。
彼の「いつか日本でも上映したい」という思いに共鳴し、配給が実現した。「映画が、映画を呼んだ」——森ガキはそう振り返っている。一本の映画を作ったことで憧れの映画館にたどり着き、そこで出会った映画人の作品を、今度は日本へ届ける。その連鎖そのものが、すでに一編の物語のようだ。

音楽から映像へ——北欧が育んだ異才

監督ヘッラ・ウルッポは、1973年フィンランド・ハルヤヴァルタ生まれ。ロックバンド「マイ・カルマ」のフロントマンとして1990年代半ばから活躍し、ソロプロジェクトでは全国チャート1位のアルバムを送り出してきた。詩人、写真家、作家としての顔も持つ。
敬愛するカウリスマキの『カラマリ・ユニオン』——登場人物のほぼ全員が「フランク」と名乗る怪作——に触発され、自らの名前に「フランク」を正式に加えたという逸話まで持つ、筋金入りの映画人でもある。
その出自を思えば、本作が「音」から立ち上がった映画であることは腑に落ちる。北欧、とりわけフィンランドの映画といえば、カウリスマキに代表される寡黙さ、削ぎ落とされた台詞、感情を押し殺した表情の奥に滲むユーモアと哀感——という系譜が思い浮かぶ。

『クロノス・カイロス』もまた、饒舌さとは対極にある。だが本作の寡黙さは、ミュージックビデオ作家ならではの映像と音楽の呼吸、そしてシュルレアリスムの飛躍が加わることで、これまでの北欧映画とは明らかに異なる質感を帯びている。
言葉を削ぎ落とした先にあるのは、静謐というより、幻想と現実の境が溶けていく眩暈のような感覚だ。喪失や再生というごく私的な主題を、北欧の乾いた光と地続きの寓話へと昇華させていく手つきに、この監督ならではの個性がある。
プロデューサーであり共同脚本と出演も兼ねるミカ・ラッティを含め、フィンランド映画界の“現在”を体現する才能が集った点でも、本作は貴重な一本といえる。
レビュー——別次元の映像が、物語と共鳴するとき

率直に言って、これは“別次元”の映画という言葉が当てはまるような作品だ。
デザイナーであり作家でもあるウルッポの、表現者としての複雑性がスクリーン全体に横溢している。にもかかわらず、その複雑さは決して難解さの誇示ではない。むしろ、恋人を失った男と、甲殻類アレルギーの殺し屋という、驚くほどシンプルな人間関係の枠のなかに凝縮されている。この単純な構図に、まったく別の角度から複雑性を注ぎ込み、独自の世界として成立させてしまう——そこに、映画という表現の新たな可能性を感じずにはいられない。
一見すると、何が起きているのか本当に分からない。台詞らしい台詞もない。にもかかわらず、アートフィルムとしての引力が凄まじく、気づけば画面に引き込まれている。そして、その引力にストーリーが静かに重なっていく。この重なりが生む相乗効果が、絶妙としか言いようがないのだ。
映画とは本来、脚本、俳優、音響、映像美——あらゆる要素が折り重なって成立するものだ。私たちが日常的に観る多くの映画では、脚本や俳優の比重が自然と大きくなる。ところが本作は、それらの要素をすべて内包しながらも、アートと映像美の比重が際立って強い。

それでもきちんと物語として成立している。独特の世界観に引き込まれながら、観客はいつのまにか一つの喪失と再生の物語を旅しているようだ。この危ういバランスを、破綻させることなく最後まで保ち切る力量に唸らされる。
モノクロームのSFという点においても、本作は映画の真骨頂を突いている。色を捨て、説明を捨て、それでもなお——いや、だからこそ——映像そのものが語りだす。
歪んだ球面に人物を映し込む魚眼レンズ的なビジュアル、荒野のテーブルで男たちが向かい合う象徴的な構図。そのどれもが、言葉では語り尽くせない世界観を一枚の絵として結晶させている。
監督自身、撮影を終えたとき、あれほど鳴りやまなかった耳鳴りがようやく止んだという。喪失を抱えるすべての人にとっての小さな「カイロス」となることを願って作られたこの作品は、観る者にとっても、日常という名の時間を断ち切る一瞬の裂け目になりうるはずだ。
作品情報

『クロノス・カイロス』(KRONOS KAIROS)
2026年9月11日(金)より、アップリンク吉祥寺、シネマリスほか全国順次公開
- 監督・撮影・編集:ヘッラ・ウルッポ
- 脚本:ミカ・ラッティ、ヘッラ・ウルッポ
- プロダクションデザイン:テーム・カスキネン
- 音響:キルカ・サイニオ
- 音楽:HRDMNN
- 出演:トニ〝プロトニ〟ヤルヴィネン、ミラ・ルオティ、カリ・レイニ、ミカ・ラッティ、テロ・ホーグルンド
- 製作:ミカ・ラッティ、ヘッラ・ウルッポ ほか
- 2025年/フィンランド/フィンランド語/70分/1:2.35/5.1ch
- 第40回ミッドナイト・サン映画祭 メインフィルム正式出品
- 配給宣伝:UPLINK、KUJIRA ROUTE
公開を記念し、監督ヘッラ・ウルッポ、プロデューサーのミカ・ラッティ、主演のトニ〝プロトニ〟ヤルヴィネンの来日と舞台挨拶も予定されている。


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