本サイトは広告を含みます
第9回 成原佑太郎コラム『目標は、変わるものなのか?』
【English Version is here】
第8回コラム英語版はこちら!
突然ですが、皆さんには目標はありますか?
漠然とイメージしていることでも、30歳や40歳までにやりたいことでもいい。あるいは、今年の初めに立てた、年内に達成したい目標でもいい。
そして、その目標は、立てたときと今でも同じだろうか。
まず僕は、目標は立てた方がいいと思っている。理由はシンプルで、期限が生まれるからだ。
「いつかやりたい」だけだと、いくらでも時間が過ぎていく。でも、「いつまでにやる」と決めれば、今やるべきことが見えてくる。
では、一度立てた目標は、ずっと変わらないものなのだろうか。
目標が途中で変わると、最初に決めたことを続けられなかったようにも見える。けれど、一度決めたことは、途中で変えてはいけないのだろうか。
目標を立てると、時間の使い方が決まる
僕がバンクーバーに来た当初、持っていたビザは1年間だった。
そこで僕は、「この1年の間に、バンクーバーで出会った人たちと短編映画を撮る」という目標を立てた。自分自身の状況とも重なる、移民の地にやってきた青年の物語を考えていた。
期限のある目標を立てると、そこに向かうまでに必要な行動が見えてくる。
誰に会うのか。何を準備するのか。いつ動き始めるのか。目標を立てたことで、限られた1年をどう使うのかが、少しずつ具体的になっていった。
もちろん、目の前にあるすべてのことに時間を使えるわけではない。映画を作るために必要なことを優先すれば、それ以外のことを後回しにする必要も出てくる。
目標を立てることは、何をするかを決めるだけではない。何を今はやらないのか、何を後回しにするのかを決めることでもあった。
そして、目標を達成できたかどうかだけではなく、そこへ向かうために時間の使い方を考え、実際に動き始められたことにも意味があった。
だから僕は、目標を立てるようになった。
目標を失うのは、努力不足だけではない
一方で、目標を立てたからといって、必ず達成できるわけではない。
どれだけ準備しても、自分ではどうにもできない理由で、目指していた道が突然閉ざされることもある。
記憶に新しいコロナ禍では、それまで続けていた仕事がなくなった人や、海外留学ができなくなった人、未来の計画を失った人もいる。その人たちに意思や努力がなかったわけではない。自分では変えられない環境によって、目標を変えざるを得ないこともある。
目標が大きければ大きいほど、それを失ったときの痛みも大きい。
長い時間をかけて準備し、目標を達成したあとの自分を想像してきたからこそ、その可能性が突然なくなると、次に何を目指せばいいのか分からなくなることもある。
だから、最初から目標を立てない人がいるのも理解できる。期待さえ持たなければ、失ったときに傷つかなくて済むからだ。
僕自身、最近は目標を立てるときに、それが達成できなくなった場合を考えるようになった。
役者としての仕事がなくなったときに、ほかに何ができるか。このまま日本に帰ることになっても、続けられることは何か。一緒に進んでいた人が別の道を選んだとき、自分一人でも続けられる形を作れるか。
最悪の場合を想定することは、最初から失敗を疑うことではない。状況が変わり、目標を失ったとしても、自分まで動けなくならないための「準備」だと思っている。
すべてを自分の努力不足にせず、そのときの状況に合わせて次の一手を選べるようにしておく。それも、目標を持つうえで必要なことなのだと思う。
動いてみると、次の目標が見える
目標が変わる理由は、外的な要因だけではない。
実際に動いたからこそ、最初は見えていなかった新しい目標が生まれることもある。
先に書いたように、僕も当初は、1年以内に短編映画を撮ることを目標にしていた。日本人が出演できる作品や機会が少ないなら、自分たちで作ればいい。そして、自分もそこに出演したい。そんな考えが最初にあった。
けれど、たくさんの人と出会い、動いていく中で、舞台を作らないかと声をかけていただき、ビザも延長できたことで、今度は舞台を作るという目標が生まれた。
これは、映画を諦めたということではない。
バンクーバーに来たときには見えていなかった選択肢が、実際に人と出会い、動いたことで現れたのだ。そして、その機会にも挑戦してみたいと思った。
さらに最近は、日本に関わりのある作品に参加したり、俳優として出演する機会をいただくことも増えた。そうなると、「自分が出演する場所を作るために映画を作る」という最初の理由も、少しずつ変わってきた。
今は、ただ映画を完成させたいわけではない。自分も出演し、一緒に作りたいと思える仲間と、撮影当日だけでなく準備の段階から作品を練りたい。そして、完成した作品をできるだけ多くの人に届けるところまで責任を持ちたい。
そうやって振り返ると、僕の目標がまったく別の方向に変わったわけではない。最初から持っていた思いに、実際の経験や新しい出会いが加わり、少しずつ具体的になっていった。
変わったというより、洗練されていったと言った方が近いのかもしれない。
目標は、動いたあとに変わる
頭の中で考えているだけでは、その目標が本当に自分に合っているのかは分からない。
実際にやってみて、「これは自分には合わなかった」と気づくこともある。それまでに使った時間や努力を考えると、簡単には認めたくないかもしれない。それでも、自分に合わないものを知ることは、新しい自分を知ることでもある。
反対に、一つの目標を達成したことで、さらにその先を目指したくなることもある。最初にやりたかったことに、経験や出会いが加わり、次の目標が見えてくる。
だから、たとえ目指すものが変わったとしても、それは迷っていることと同じではない。
最初に掲げた目標へ向かって動いたからこそ、当時は見えていなかった選択肢や、次に進みたい方向が見えるようになる。
結果的に新しい目標が見えてきても、最初の選択が間違っていたわけではない。目標は、立てた時点で完成するものではないからだ。
実際にそこへ向かって動くことで、自分に合う形へ変わり、より具体的になっていくものなのだと思う。
では、変わる目標を、なぜ立てるのか。
今の自分が出せる答えは、「未来を決めるためではなく、今の自分を動かすためだ」。
1
2


コメント